夢から醒めても
私が三日坊主であることをよく表してるのでこのまま放置するのも悪くなかったのですがそろそろ書いてみます。
最近の私は新たな保険に加入してみたり、更に増やしてみようかな?と考えてたり年齢らしい出来事や悩みが増えてきました。
歳をとったなぁ、と思う出来事で言えば焼肉が食べられない。
食べると必ず気持ちが悪くなり、トイレにこもります。
以前ツイッターで「生肉に触れる箸と口につける箸を分けるだけでお腹を壊すことはない」
なんて見かけましたが、既にそれを実行してこの結果です。
千円焼肉食べ放題で何の部位かわからないけどとにかく安く肉が食べられる店でたらふく食べてたあの頃の胃はもうありません。
ただ、学習能力はないので定期的に肉を欲し、体調不良を繰り返します。
人は愚かなのです。
まだあります。遊ぶ時間が健全。
仲の良い友人は大体結婚し、家庭があるので夕方までに解散!ということが増えました。
朝までカラオケとか今はもう絶対できない自信があります。
できたとしてその後数日間かけて体力を回復させていかなければならない事が安易に想像されます。
10代20代の頃はホイミでも使えたのかな、というくらい体力に差があります。
そしてこれは本当に最近の出来事。
私が小学生の頃は某J事務所のJr.さん達が黄金期とされる時代。
夜8時にオンエアされてた某番組でファンになり応援していたアイドルさんがいました。
番組が終わると同時に私はJ事務所のタレントさんに疎くなり、デビュー組にいないなぁと思っていたら応援していたアイドルさんもいつのまにか退所されていた事を知りました。
先日J事務所の社長さんが亡くなったニュースを見て、そういえば応援していた彼はどうしてるんだろうかとふと思い、懐かしくなって何気なく画像検索をしてたところ何とインスタのアカウントを発見。
(当時のファンに気付いてもらいやすいよう、自ら発信してくれてました)
少年時代の姿のまま、私の記憶の中で時が止まっていましたが当時の面影を残しつつ歳を重ねられていました。
そして結婚もされお子さんがいらっしゃる事を投稿から知り
あぁ、それだけ時は流れたんだなと
10代は遊びや恋愛、勉強に部活と忙しい年齢。
そんな時に人気アイドルをされてた事はきっと制限された事も沢山あったと思います。
アイドルの皆さんは苦労を一切表に出さないし、同世代なのでその時は気づかなかったけどこの年齢になって色々思うことがあります
沢山の夢と笑顔を見せてくれたから私の青春は彩られました。青春をありがとう
って言いたくてももちろん言えないので
感謝の気持ちも込めてとりあえずいいねをしておきました。
いいねって便利な機能だ!
いわゆる大人の年齢ですが、
まだまだ実感はありません。
(前のブログで同じような事書いてたらすみません何せ半年以上放置してるもんで)
焼肉が食べられなくなると思ってなかったし
応援してたアイドルは絶対デビューすると思ってたし
自分はとっくに人前に出る仕事を辞めてると思ってたし
30まで自分が生きてる事すら想像できなかったけど全然普通に年もとって、
想像通りじゃない未来を平々凡々と生きてます
オバさんなんて言われるようになってからの方が人生は長いって事も最近気づいてしまいました
かと言って絶望も特にないのでこの先も笑っていられたらいいかな、ぐらいです。
街中の人混みや満員電車の1人にすっかりなったんだなと、まあ元々だけど。
スーパーで半額シールが貼られた刺身を見つけたときぐらいの幸せを、大事にしながら1日を消費していきたいです。これからも。
そんなこんなで
深夜に急なブログの復活でした。
私も誰かの青春や日々を彩ることができたらなーと思ってるのですがついSNSで余計なことを書いてしまうし人間味を出し過ぎてしまうので反省です
とりあえず小銭の音に反応するのはやめたいですね
あと照れが出て前の記事読めないので
前と内容が被ってたらマジでごめんなさい(2回目)
では、不定期で!
一本の指で知る事
もし、今いる場所で突然、火事や地震、津波などが発生しすぐにでも逃げ出さなきゃ行けない場合に何を持って出て行くか。
親の形見などを持ち歩いている人を除けばほとんどの人は財布か携帯電話と答えると思う。
私は欲張りなのでどちらかなんて選ばず、その二点を手にして逃げる。
財布には金銭はもちろんだがカード類や身分証を入れているので紛失するとかなり面倒だ。
(過去に三度経験している経験者として言う)
その財布と肩を並べるほど、なくてはならない存在となった携帯電話。
手元にあるのがあまりに当たり前となったのは私が学生の頃からだろうか。
世に携帯電話が普及し、気付けば一人一台持っているのが当然となっていた。
その携帯電話がスマホに変わったのなんて最近の話で当時は写真を撮ることができる新機種のCMを見てかなり驚いたし絵文字が動くこともパソコンではなく携帯電話でHPを作れたりすることにもいちいち驚いた。
自主制作でHPを作る時代を経て、当時は招待制だったmixiの大ブームが到来。
初対面の人とも連絡先を交換するよりハードルが低く感じたのでとりあえずマイミクになった。
誰が自分を最初に招待してくれたかなんてもちろん覚えてないし、きっと"お友達"になった人の中にも自分が覚えてない人もいる。
登録をしていない人を見つける方が困難だったmixiも、今やまだアカウントにログインが出来る人を見つける方が難しい。
一体みんな、いつやめてしまったのか。
「今日、閉鎖します!」
なんて宣言もされてないしmixiを辞めよう!という運動があった訳でもない。
気づけばみんな開かなくなっていた。
それがfacebookやInstagram、Twitterに移行していったと言えばそれまでなんだけどあれだけみんな日々日常を綴り、生活の一部としていたものがあんなにぼんやりと消えてしまうのかと思うとなんて儚いんだろう。
あの中にいた、"お友達"と呼ばれる人も一緒に消えてしまったかのようにその後を知らない人がたくさんいる。
指一本で近況を知る事が、考えを知る事ができるから会ったつもりになって、知ったつもりになっていた。
それはガラケーからスマホに変わってSNSツールが変わった今も全く変わってない気がしている。
Twitterでその人の今の心の声を見て、
最近どう?なんて聞かなくてもその人のことを知った気になれる。
でもそれらのツールを使わなくなった時に普段から頻繁に連絡を取るような相手でなければ
ふとした時ぐらいにしか思い出さなくなる。
ひどい時には記憶にすら残っていない。
携帯電話がない時代は待ち合わせは大変だったんだろうな
遠距離恋愛なんてどうしていたんだろう
どんなふうに時間を潰していたのかな
そういえば家の固定電話って最近使ってないな
どこでもドアもなければタイムマシンもまだないけれど、
携帯電話やスマホのおかげでかなり便利な時代になっている。
けれど
その便利さがたまに淋しくさせるときがある。
しようとすれば、簡単できる。
だからこそしない、いつでもできるから。
その便利さと簡単さがひどく淋しい。
そんなことを結局スマホに向かって打ち込んでいる。
これからもこの便利さにすがりついていくんだろうけど、きっとこの淋しさも忘れてはいけない気がしたので書き残した。
情けないけど、人間の記憶より確かだから。
明日も、忘れたくない事が一つでも増えますように。
(AMまもなく3時の布団の中より)
フラッシュバック
高校三年生の三学期。
クラスでの卒業文集を作るのにあたり様々な項目においてのクラスメイトのランキングを掲載することになった。
アンケートは匿名で行われたリアルなもの。
当たり障りのない項目が並ぶ中
「いい匂いのする人」のランキングがあり、
そこで私は人生で初めての1番を取った。
その出来事のせいではないが、あれから10年経った今も同じ香りの香水を纏っている。
10月になり街を歩くと金木犀の香りが漂っていた。
人間の鼻には匂いに慣れるという、好ましくない匂いの時には嬉しい機能が授かっているがこの時ばかりは邪魔だな、と思ってしまう。
私は金木犀の香りが好きだし、この香りがすると思い出す事がある。
その時その時で流行る香水があった。
私が覚えているものでは
女子でいうと
クロエ
男子は
ウルトラマリン、スカルプチャー、ck1
あまりにみんながつけていたので、街中でこれらの香りがするとその当時に突然引き戻された気持ちになる。
休み時間の廊下で
放課後の教室で
そこら中にあった匂いだ。
誰がつけていたかは思い出せないしもちろんそれをつけていた誰かはそこにいない。
どこに咲いているのか見つけられないのに確かに香りはして、その存在を示している金木犀のようだと思うのだ。
私にとっては特に懐かしくないいつもつけている香水も、誰かにとってあの時の匂いになっているのだろうか。
そんなことを考えながら少し冷たくなった空気の中で思いっきり深呼吸をした。
拝啓、
人もまばらなバスの中で一通のLINEが届いた。
20代前半、とにかく一緒に過ごす時間が多かった友人からだ。
先日結婚をした彼女からのメッセージは
「来年母になる」
という知らせだった。
10年程前の私は成人しているのにまだ大人と呼ばれることに違和感を感じて、そんなわけないのにこのまま20代が永遠に続くような気がしていた。
子供からすると十分に将来にあたる年齢なのにそれでも先が見えず歳を重ねることはどこか他人事で、不安が大きいから楽しい事で埋めて誤魔化す日々。
周りからの結婚報告やSNSで見かける日常を見てはどんどん置いていかれている気がして、大人になった自分の体にタイムスリップしてきた昔の自分が心だけ入れ替わったような気持ちで過ごしてきた。
そんな漠然とした不安さえも共感できるほどに、弱さも見せ合いバカなこともたくさんしてとにかく彼女といるときは笑いが絶えなかった。
そんな彼女が結婚をしただけでも感慨深かったのに、この世で一番大事な人との間に命を授かったのだ。
将来が不安で家庭を持つ人の話が別世界に感じたようなあの頃の友人の面影はもうない。
自分の手で幸せをしっかりと掴んだ。
その事実がとにかく嬉しかった私は、
「おめでとう」の一言を返信するよりも先に涙が溢れた。
こんな日がくるんだから大丈夫、
とあの頃の私たちに声をかけてあげたいようなサプライズとして残しておきたいような。
クリープハイプ の新しいアルバムタイトルに対して何がだよ、なんて悪態ついていた私もその時初めて納得できた。
「泣きたくなるほど嬉しい日々に」
再生ボタンを押し、
嬉しい報告を改めて噛み締めた。